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2015-02-14

友人のお供で登った飯野山

丸亀生まれの丸亀育ちだという友人が地元の飯野山に登ったことがないので案内してほしいと頼まれたのが、もう1年近く前のことになります。

春は忙しく、夏は低山は暑いし、秋にも行きそびれて、先週、ようやく一年越しで頼まれていたお役目を果たしました。

それにしても、地元の山でも山に登らない人と言うのは結構いるものですね。

2月5日は特に天気もよくなかったのですが、6日は予定があったので、空模様を見ながら友人と登山口方面へ。

案の定、登山口付近に差し掛かると、小雨が降っています。仕方なく、ちょっと離れた場所にあるお店に行って。今日はダメかもと言っていたら薄日が射し始めました。

慌てて、これなら登れそうと、再び登山口へ。

P1010655

友人の体力がどれほどかもわからないので、登山口かららせん状についているいちばん緩やかな道を登ります。

↑道沿いにクロガネモチが陽射しを受けて鮮やかでした。

P101065430年以上も前にまだ2歳と3歳ぐらいだった子供を連れて登った飯野山は道はついていたけど、誰一人にも会わない山でした。

山頂もお堂があるだけで、お堂の周囲はヤブになっていて展望も一つもなく「なんてつまらない山」と思ったものです。その飯野山が今では新日本百名山になっているのですから、変わったものです。

↑今ではどんな時に登っても、必ず10人以上の人に会います。

私たちの前を行く方・・・。

私のほうは友人のペースに合わせてゆっくりと登ります。

P10106563合目の分岐に生えているダンコウバイの花芽も膨らんでいるようです。

P1010658サンショウらしき赤い実がなっていて、実を少しちぎったら、とても良い香りがしたので、これは本物のサンショウでしょうね。

P1010659道はらせん状についているので、東西南北の眺めを楽しめます。

↑この辺りで見えているのは城山です

P1010662ビワの小さな実が早くも実り始めています。

P1010667山頂まで1時間20分ぐらいかかったでしょうか。

この日はカメラの時計がリセットされていたようで、撮影日時がわかりません。

↑新日本百名山になったときに立てられた石碑のようにも思うのですが、よくわかりません。

P1010666山頂の岩の上にヤマガラがいました。

ベンチに座って、持参のポットのお湯で暑いコーヒーを作って友人にご馳走します。

美味しいと言ってずいぶん喜んでくれました。

P1010669飯野山の山頂には以前から野良猫が棲みついていて、登ってきた人に餌のおねだりをするのですが、この日見かけた猫はお腹が空いてないのか、逃げていきました(^_^;

P1010674しばらく登っていなかったせいか、今回初めて気づいたのですが、山頂に「楷の木」が植えられていました。

楷の木と言えば閑谷学校を思い出しますが、この楷の木は閑谷学校の木の子孫とあるので、閑谷学校に植わっている親株の実を実生で育てたのかもしれません。

実生で木を育てるというのはロマンですよね。

P1010679下りでも、猫を見かけました。

最近は山頂だけでなく、それ以外の場所にも野良猫が棲みつくようになったのかな?

この後、小雨が降り始めて、最後の10分は急ぎ足で下ったのですが、幸い、友人も何とか下ってこれました。

私のように、いつも山を身近に感じる人間にとっては、生まれてからほとんど山に登ったことがないという人は、なんだか異人種のようにさえ思えます。

これをきっかけに、ご夫婦でも山に登ってくれると良いなと思ったことでした。

コメント

keitann様 こんにちは
この飯野山は良く覚えています。この山行の前にスマホアプリのログ取り実験をしたときに登った天霧山から見えていた、実に見事な円錐形をした山ですね。
らせん状の登山道と言えば指宿の開門岳についてもそういう話を聞きました。
どちらの山も同じように円錐形の、いかにも急峻な山ですね。

この山にも野良猫が・・・・・・時が経てば、やがてはイリオモテヤマネコのように野生と違わないようになるのでしょうか。

お陰様で階の木について勉強させていただきました。
この記事の中でkeitann様の記述については間違いはないのですが、あの立看板中の土田氏の記述については記述が微妙であり、若干の付け足しが必要なようです。
あの種類は発芽率が悪くて、支那から持ち帰った種を播種し、運よく発芽したものを育苗し、十年後の大正14年(1925年)に儒教関係の場所に配布し、そのとき閑谷学校には二株だけお裾分けしたそうです。
幸いなことに雌株があたり、種が取れる樹に育っていたようですね。

ところでこの飯野山と孔子様・儒教は関係があるのでしょうか。
何らかの関連性があるとすればロマンチックなことですね。

こんにちは。
私も就職してからつい数年前まで、山登りには縁がありませんでした。地元の高尾山に登ったのは、小学6年生の時に登って以来、何と40年以上も間が開いていました。
富士山に2回登ったのも50歳台になってからでしたよ。植物のことを知りだすと、山登りも楽しいですね。と言っても年に1回高尾山に登るだけですけどね。

ぶちょうほう様、こんばんは。

飯野山は我が家から車で15分ぐらいのところに登山口があって、私の住んでいる
丸亀市のシンボルのような山になっています。
西側から眺めると綺麗な円錐形をしていて、讃岐富士と言う名前のほうが通りが良い
みたいです。
開聞岳もぜひ登って見たい山ですが、やはりらせん状に道がついているということを
登られた先輩ご夫妻からお聞きしました。
飯野山は3合目から北斜面に直登道というのがついていて、そちらは花が多いのと
時間的に早く登れるので、私などここ10年ほどらせん状の道は専ら下山用に使う
ことばかりでした。
でもたまにこちらから登ると、次々と変わる眺めが楽しいです。

楷の木と言えば、今日はたまたま岡山の英田方面にセツブンソウを見に行ってきたので
閑谷学校の近くを通りました。
私には山登り仲間以外にもネットの花仲間とも言えるような方をお付き合いがあって、
その種まき好きな仲間の間で一度、閑谷学校の楷の木の種を分けてくださるという話が
持ち上がったことがありました。
なので、飯野山の楷の木が閑谷学校の株の子株であることも直ぐに頷けました。
しかしながら、閑谷学校の親株のほうは、そういう事情で育った株なのですね。
閑谷学校の磨き上げられた廊下に写る楷の木の紅葉がそれは見事なのだと、私が数年前に
訪れたときにガイドさんが仰ってました。
それぞれの木にそれぞれの思いがありますね。

多摩NTの住人様、こんばんは。

私自身は子供時代から山には縁があって、父に連れられて登った里山
中学で連れて行ってもらった学校登山、学生時代の山登り。
そして、40代後半に復活した山歩き・・・。
山とは切っても切れない縁がありますが、身近に山があっても登らない人も
いらっしゃるのだな~とちょっと不思議な気がします。
そういえば、うちの母も山とは縁がないですね。
でも、高尾山に小学校の時に登られているんですね。
丸亀市内の小学生も全員、一度は飯野山に登らせたらよいのにと思うのですが・・。
信州のほうの中学生や小学生は、今でも学校登山でアルプスの山に登ってますよ。
故郷の山に愛着を持ってほしいものですね。

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