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2020-09-05

昔の写真から

8月半ばの石鎚行きの翌週は仲間たちと横倉山に行ったのですが、その記事を書いていると来週以降までかかります。実は来週初めに入院する予定なので、記事が途中になると思い、横倉の記録はまた日を改めてアップしようと思います。

今日は、探し物をしていて部屋の整理などしていたら昔の写真がでてきましたので、それでもアップします。

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↑中学一年の時に登った笹ヶ峰山頂での写真です。

通っていた中学では登山好きの先生が多かったのか、毎年、夏休みに山に登りたい生徒を募って、連れて行ってくれました。

この年は1年生は笹ヶ峰ということで、当時の汽車に乗ってたぶん伊予西条まで行き、そこからバスで下津池まで入ったのだと思います。

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登山口の橋は今も昔も変わってないようですね。

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丸山荘で撮影した記念写真。

私たちの学年は50名近くが笹ヶ峰に登ったようです。

学年全体で400名弱ですから1割以上の生徒が登ったことになります。

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時代が下って↑は大学2年か3年のときに初めて登った瓶ヶ森にて。

石鎚をバックに撮っています。

石鎚のルンゼの雪が結構残っていますが、これは確か3月だったと思います。

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こちらは大学1年の6月で南八ヶ岳に登った時。

バックが赤岳ぐらいでしょうかね。

南八つにはこの時以来行ってないと思います。

大学に入って2度目の山行で、1度目があまりにつらかったので、下山してすぐに退部しようと思っていたはずなのに、なぜか2度目の八ヶ岳は天気にも恵まれて山の良さをすごく感じ、とうとう最後まで山登りを続けてしまいました。

この時は甲斐大泉の駅から歩き始め、テン場は赤岳の手前の小屋だったのかな?良く覚えていません。

当時の5万図を見ると、硫黄岳まで歩き、美濃戸口に下山しているようです。

コメント

keitann様 こんにちは
懐かしい写真が出てきましたね。中学一年の時に恐らく一泊したのでしょうね。
写真の中には先生も複数名いるようで、良い環境に恵まれましたね。
笹ヶ峰山頂では明暗のコントラストが強くて影の部分が大部分ですね。そして、風も強かったのではないでしょうか。
八ヶ岳山行は全員懐かしの登山ファッションでしたね。
このときのコースが甲斐大泉から硫黄岳経美濃戸口だとすると、写真は1.横岳から赤岳をバックに撮ったもの、または2.権現岳から阿弥陀岳をバックに撮ったものと推測しますが、八ヶ岳山行ですのでやはり主峰の赤岳を撮ったものなんでしょうね。
赤岳から下りて来て横岳に登り返し、その頂からの赤岳の眺望はピカ一ですから。

ぶちょうほう様、こんばんは。

今では四国内も高速が通じて、自宅から日帰りで大抵の山に登れてしまいますが
はるか50年以上も昔ですから、丸山荘に一泊したのです。
持参物としてお米一合、缶詰でも佃煮でも何か副食になるものを持っていったと
思います。一日目は小屋まで登り、翌朝、山頂に登った後、下山でした。
標高1800以上ありますから、朝が寒くて驚いたのを覚えています。
引率してくださったのは数名の先生と事務の方や写真屋のおじさんなどがいらっしゃい
ました。
今なら事故を恐れて、手間のかかることは学校はしないでしょうね。
牧歌的な良い時代に育ったと思います。

学生時代の山登りはニッカボッカにキスリングという時代でした。
40代後半で山登り復帰して、今どきの山歩きの服装が随分変わっているのに驚いた
ものです。
八ヶ岳の写真・・・何しろ二度目の山行で、山がまだよくわかってないときだったので
どこで撮ったのやら、さっぱり記憶がありません。撮影場所の同定をありがとう
ございます。
この頃はすでにカラー写真になっていたのですが、写真係の先輩が敢えてモノクロで
撮影されたのでしょうか。カラーとはまた違って、なかなか良い雰囲気です。
北八つのほうは何度か行ってるので、雰囲気なども覚えているのですが、南には
この時以来行ってないので、機会があったらもう一度歩いてみたいものです。

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