8月半ばに伊吹山に行くのに使った青春18きっぷの残りが3枚残っていて、東京の末っ子が帰省するのだったら送ってやろうと思っていたら、なんと、今年の夏は帰省はしないとのこと。
9月10日までしか使えないので、それでは夫婦で、どこかに行こうと考えました。特急には乗れないので、あまり遠くへ行くのも疲れるしとうことで、半日強乗ればたどり着きそうな山陰方面へと行き先を決めました。後は時刻表で列車の接続を書き出し、宿の手配です。主人と私の両方の都合がつく日ということで、28日~29日ということになりました。
泊まるのは温泉がよかろうということで、三朝温泉に宿をとったところ、近くに三徳山の投入堂があるのがわかりました。何度か雑誌やTVでも見たことがあって、以前から興味があった場所です。三朝温泉の行きか帰りに立ち寄れそうということで、プランを練りました。
マイクロバスから見玉で再び大型バスに乗り換えて、一旦、石打に出てお昼を取ります。
大勢が食事できる場所となると、限られるんですね~。これが数人の旅行なら、どこでも気の向いたところで食事できるのですが・・。
石打辺りからは天気が良ければ、懐かしい巻機山方面も見えるのでしょうが、この日も雨は降らないものの、山を見ることはできませんでした。
食事が済んで、新潟のお酒などをお土産に買い込んだら、再び車上の人となります。
この回の記事は、書くのにとても時間がかかりました。
というのは、秋山郷というのは、昔良く登った苗場山にもゆかりの深い土地柄なのです。旅の途中では、登ったルートなどが思い出せず、帰宅してから、昔の地図を引っ張り出したりして確認をしていました。
さて、翌9日の朝は、私はなぜか朝早く目覚めてしまいました。
いつも自宅では仕事柄もあって、夜更かしすることが多いので、旅館などに泊まって早く寝すぎると、そのぶん早く目が覚めるようです。先輩がたはまだ眠っていましたが、そっと部屋を抜け出し、階下の温泉に向かいました。
最近、温泉に泊まると、夜は勿論、朝風呂に入るのも楽しみです。特に露天風呂は冷たい屋外の空気に触れながらお湯に浸かるので、のぼせにくくて気持ちよいです。
お風呂から出て部屋に帰ってくると、先輩たちも皆、お目覚めのようです。
朝食は7時半にしっかり食べて、8時にはバスに乗り込みました。
高速を下りて一般道に入ると、道沿いにはリンゴ畑がそこここに見えていて、赤いリンゴのなっているのがとても可愛い眺めでした。四国に住んでいる私にとっては、ミカンが木になっている姿は、ごく当たり前に見る光景ですが、リンゴ畑だけはさすがにあまり見る機会がありません。
添乗員の方の話では信州のリンゴは有名ですが、美味しいリンゴはどちらかというと北信に多いのだそうです。そういえば、我が家でも義弟のお嫁さんが信州の人なので、毎年、美味しい蜜入りのフジを送っていただくのですが、フジはリンゴの中でも収穫時期が一番遅いそうで11月の末頃に届きます。
この日見かけたリンゴもまだ木になっているのを見るとフジに違いありません。
バス旅行の集合は翌朝8時に京王プラザホテルの正面玄関となっていました。
ホテルで7時に起床したあと、お化粧しようとしたらファウンデーションや乳液まで忘れていることに気付きました。山登りの時は忘れものが命取りになりかねないので、気をつけますが、普通の旅行となると途端に忘れものばかりしています。実際、旅行だと、極端な話、財布やカードを忘れさえしなければ、今の時代は困りません。
ホテルをチエックアウトして、途中のコンビニでファウンデーションなどを調達して、京王プラザに向かいます。京王プラザの周囲にはバスが何台も並んでいて、どのバスなのかもさっぱりわかりません。バスハイクやバス旅行というのに、あまり参加したことがないので、戸惑うことが多いです。先輩がファックスで送ってくれた日程表に連絡先の携帯電話番号が書いてあって、そこに二度も電話してようやく集合場所がわかりました。
白洲正子の旧居は「武相荘」という古い農家を改造した建物だそうで、仙台の友人と横浜の友人が、今回選んでくれた行き先です。
白洲正子の名はいろいろな雑誌で見聞きしていた程度で骨董などに造詣が深く、「自伝」がベストセラーになったのは知っていましたが、それまで著書は読んだことはなかったのです。
旅行に出るに際して、たまたま書店で「白洲正子自伝」が目にとまり、これも何かの縁と思い、買って帰り読んでいる途中です。ちょうどこの前、鶴川村に住み始めたというところに差し掛かったばかりです。仕事場に本を忘れてきたので、その先がまだ読めずにいますが・・。
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