お昼ご飯を食べて、お腹がいっぱいになったら、出発します。
歩き始めは13時25分です。
車道沿いに、桐があって、ここでも花芽と実の両方が楽しめます。桐の木の花芽は花材として、花市場にも出回っているそうです。
歩く予定にしていた沢沿いの道が増水のため歩けないので、急遽、他のコースを頭の中で考えます。阿讃国境のこの付近は、昔から行き来が盛んで、古い道なども残っていますが、車道も通じているという土地です。
しばらく考えて、杉王神社から横畑集落経由で竜王峠へと向かう道を歩くことにしました。
三頭トンネルに入る直ぐ手前で川東方面とある標識どおりに曲がり、そのまま道なりに車で5分あまり走るとそこが杉王神社です。直ぐ隣が川奥集会場になっていて、ここではそば打ち体験も出来るそうですが、この集会場に車を停めさせてもらいました。
歩く予定にしていた沢筋の道の取り付きへとやって来たのは、11時半でした。ところが沢から流れ出る水の量を見てびっくりしました。ここも轟々と音を立てて、水が流れています。
このルートは何度か沢を渡渉するところがあるので、あまり水量が多いと登れません。それにしても、この時期にこれほどの水量とは予想だにしていませんでした。仕方ない、行けるところまで行くことにします。
今年の冬のお天気は気まぐれで、寒波がやってきて山が白くなるかと思えば、一転、寒が緩み、春先のような本格的な雨が降ったりします。
1日にどこかに登りたいと思っていましたが、天気があまり良くなさそうなので、見合わせました。そして、1日夜の天気予報を見ていたら、2日は快晴との予報です。週間予報を見ても快晴は2日だけです。これはもう行くっきゃないな~と思い、登る山の検討を始めました。急に思い立ったので、1人で歩くのも良いかな、と思っていたら、野草仲間のRさんから丁度、別のことでメールが入り、ついでに電話してみたら、Rさんも行きたいとのことで、前夜に話がまとまりました。
貴峰山に登った後、Tさんの車で、今度は奥白方へと向かいます。
1月11日に雨霧山に登った際に、弥谷越から奥白方へと下るへんろ道が通行可能という情報をいただいてから、この冬の間に、ぜひともルートを確認しておきたいと思っていたのでした。つまり、私にとってはこの冬の宿題とも言うべきコースでした。
問題は登山口ですが、山渓の分県ガイドに少し目を通してきたので大体はわかります。
それによると、虚空蔵寺というお寺の近くから登るらしいのです。もっと北にある林求馬邸(はやしもとめてい)付近までは何度か行っているので、その辺を東に向かって走ります。すると、丁度、弥谷越の麓の辺りにお寺らしきものが見えています。あれだ、ということで、そちらに向かって車を走らせました。
お堂のそばの休憩所にはベンチやテーブルも置かれていて、勿論屋根つきなので、雨が降っても大丈夫です。まさに至れり尽くせりですね。
よく見るとノートがぶら下がっていて、登山者が名前を書き込む名簿のようです。丁寧にも、山の感想なども書き込んできる人がいましたが、私たちは名前のみを記入しました。
登山道はお堂の横から上に伸びていて、直ぐに分かります。
1月23日、山友達のTさんと、軽い山歩きでもしましょうということになりました。
その前の1月11日に黒戸山から天霧山まで縦走した際、時間の余裕があれば、貴峰山にも登るつもりだったのが、ゆっくり歩きだったもので、登ることが出来ませんでした。
そこで、先ずは貴峰山に登り、その後、奥白方に走り、弥谷越まで登ることにしました。
弥谷越は弥谷寺から別格18番の海岸寺へと辿るお遍路さんのためのへんろ道になっているようで、昔はきっとこの山越えの道もかなりの人に歩かれていたのでしょうね。
周囲に何体も佇んでいるお地蔵様や石仏を見ても、往時に歩いた人が偲ばれるようです。
黒戸山で一服した後、12時15分に出発します。
今回は、楽勝コースの里山なので、早い時間に下れると思っていたのに、早くもお昼です。このメンバーだとお喋りが多いのと、冬場でも木の名前や草の名前でいろいろ話し合うので、どうしてもスローペースになりがちですが、夕方までに下山すれば良いので、それほど焦りません。里山歩きの良いところですね。
急な石段を下ると、海沿いの道に出ました。
港から最初に歩き始めた道です。島は平地がほとんどないので、きちんとした道は島の周囲を一周する道路があるぐらいです。
下りてきたところにかなり大きな墓地がありました。
低山だからウオーキングシューズで十分だろうと、登山靴を履いてこなかったのですが、落ち葉の道はずるずると滑り易くて、中腹までにすっかり汗をかいてしまいました。
やがて、樹林が少しだけ切れて海が見えるところも出てきました。しかし、周囲はおおむね、シロダモやトベラなどの照葉樹が多いです。
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