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去年、粟島に来たのは山登りが主な目的だったので、あまり普通の道は歩かなかったのですが、今回は路地の中を通ったりと、島の普通の道を歩いてみることにしました。
粟島の中学のあった場所を通って、そこから少し小高い畑の中を通ります。
ここ3年ほど、冬場の寒いときは島に行っています。
春から秋にかけては比較的高い山に花を見に行くことが多く、なかなか島に渡る機会も時間もないというのが正直なところですが、冬場は暖かい島に行けば、花も咲いていることが多いのです。
今年も1月末に粟島に来てるのですが、去年行きそびれた志々島(ししじま)と佐柳島(さなぎじま)に行ってみたいと、この前から思っていたのです。昨日、船の時間をざっと調べたら、12時半ごろの船があるようでした。家の用事などざと済ませて、旧詫間町の須田港目指して走り始めたのが11時40分ぐらいでしょうか。
途中、地元のスーパーによってお昼調達します。
田んぼのあぜ道や沢のほとりなど、細い道を歩いて行くと、ところどころでネットが張ってあります。山からイノシシが下りてきて作物を荒らさないように、ネットを張ってあるのです。でも、山の斜面にはイノシシが下りてきた跡がたくさんありました。
今年はどこもイノシシの被害がすごいようです。
畦には今回も群青色の玉が見つかりました。
1月22日は、ここ10日ぐらいの中ではいちばん暖かでした。
朝から青空で日が射して、このぶんなら山里も凍結の心配はなさそうです。1月3日以来で、雪ワリイチゲに変化がないか、見てきたくなりました。
高校時代のバレー部仲間のHさんに携帯メールを送ったら、すぐに「行きたい」と返信が返ってきました。
熱いコーヒーをポットに入れたのとりんごとナイフを簡単なザックに入れます。12時を回って直ぐに出発して、Hさんの家に迎えに行きました。
嶽山から下山してきたのは、15時前でした。
ほんとは東かがわ市の虎丸山にも出来れば登りたいと思っていたのですが、移動に30分以上かかるのと、標高も400m以上あって、2時間はかかりそうなので、諦めます。Eさんが代わりに日山に案内してくださることになりました。
日山の登山口までは車で20分ほどだったでしょうか。
日山は高松の三谷町というところにあります。
Eさんの車の後をついて行くと、着いた所は大きな池の堤防でした。
皆でランチする予定のイタリアンレストランには11時半に予約を入れてありましたが、白山を下山したのが11時45分でした。車で走ると丁度11時半ぐらいでしょうか。
結局、レストランにいたる道もEさんの車の後を走ることになりました。
到着はぴったり11時半です。
昨年11月の初めのことでした。
仙台から親友が帰省していて、彼女を三木町の山すそにあるレストランに案内したときのこと、帰り道にコスモスが綺麗に咲いた畑があったのでコスモスを撮影していたところ、近くに標高は200m程度しかないのに、ごつい岩山が見えたのです。
気になって、帰ってからその山を地図で調べたところ、嶽山(だけやま)という名前でした。岩山なので、登れないかもしれないなどと思っていたところ、つい最近、泉保さんの本に「嶽山」の記録がありました。石鎚に行った帰りに山友達のTさんに三木町のイタリアンレストランを案内するついでに嶽山に登りませんか?と話していたところ、Tさんも乗り気です。
話がまとまり、他にもRさんやEさんに声をかけたところ、とんとんと話がまとまって20日(日付は変わったけど本日です)行ってきました。
15日から、ここ数年でいちばん強力と思われる寒波が到来して、あまり氷点下になることのない我が家でもツララを見ることができました。
若いうちに山歩きをしていたせいか、マイナス5℃ぐらいまでの寒さはあまり寒いとは思わず、むしろ寒いときほど外を出歩きたくなると言う奇妙な癖があります。
考えてみたら、子供たちがまだ小学校低学年とか保育所に行ってた頃も、いちばん寒い日に、お弁当を作って森林公園に出向き、雪の舞い降る中をお弁当を食べたと言うこともありました。
15日は手袋着用でダウンジャケットを着込んで、足元は登山用の靴下にウオーキングシューズと言う格好で、首からカメラをぶら下げて歩いて30分弱のショッピングセンターに出かけました。
登りでは途中、おにぎり一個しか食べてなかったので、弥山でもう一個食べておこうと思ったのに、結局、素晴らしい眺めを見たり撮影したりしていて、食べそびれてしまいました。
この日は冬用のガスの新しいのとプリムス、コッフェル、カップヌードル、ポットにはコーヒー用に熱いお湯、それに分厚いダウン、細引き・・などなど夏の山行に比べて4割り増しぐらいの荷物も持参していたのですが、結局、どれも使いませんでした。
下りは登りに比べて汗もかかないだろうと、薄手のユニクロのダウンを着用して下り始めます。それと、登りは撮影のために完全防水の手袋を左手にしか着けなかったのですが、下りでは気温も低下するので、両手に着用します。
山頂まで登ると決めてからも、夏道では鉄の桟道がついているところが手すりの鎖の高さまで雪が積もっているところもあって、谷側はすっぱりと切れ落ちていて、なかなか気が抜けません。おまけにそういうところで下りの方たちとのすれ違いもあったりで、双方とも結構気を使います。でも、下りの方たちが快く道を譲ってくださったのには感謝の念でいっぱいでした。
ほんとなら、こんな時間に登ってくるなんて非常識ともいえるのですが、皆さん「焦らずにゆっくり落ち着いて進んでください」と声をかけて下さいます。
西ノ冠山への分岐を通過しますが、カメラのバッテリーが切れてしまい、通過時間がわかりません。手には完全防水の手袋をつけているので、コンデジも使いにくいし、バッテリー交換は山頂に着いてからすることにしました。
途中二箇所、ものすごい急斜面を登っていくところがあって、滑らないようにダブルストックで体を支え、やっとの思いで登ります。先行されていたスノーシューの男性も、途中でスノーシューを外されているようで、失礼して先に行かせていただきました。この日私はピッケルも一応、登山口までは持参していたのですが、これだけの新雪だとやはりピッケルよりダブルストックのほうが有効だったようです。
喘ぎながら最後の急斜面を登ったところで、直ぐ上に山頂の小屋が見えてきました。待望の弥山に着いたようです。
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