高知へ春を探しに
里山レポートの合間ですが、昨日は帰省中の息子や主人と一緒に、高知までドライブし、シコクバイカオウレンの咲き始めを見てきましたので、高知での画像をお届けします。
一足早い春のお届けです。
« 2013年12月 | メイン | 2014年2月 »
里山レポートの合間ですが、昨日は帰省中の息子や主人と一緒に、高知までドライブし、シコクバイカオウレンの咲き始めを見てきましたので、高知での画像をお届けします。
一足早い春のお届けです。
尾根道をほんの100mほど歩いたところに、またまた祠がありました。
こちらの祠には天保5年という文字が読み取れます。横のほうにはこの祠を奉納された人の名前でしょうか、人名らしきものが彫られてます。
天保5年というのは1834年のことらしいので、今から180年ほど前のことです。
こんなところに、大きな石を背負って担ぎ上げるわけですから、昔の人は信心深かったと言わざるをえません。
山頂でコーヒーを飲み、私にとっては子供のころから眺めている馴染み深い景色を存分に眺めたら、そろそろ下りに取り掛かります。
ちょっときょろきょろしたら、周回路と思われる下り道が見つかりました。すこしだけ迷ったのですが、やっぱり同じ道を下るのは面白くないので、周回路を下ることにしました。
ネット上から山条山周辺の地図をお借りして、歩いたコースを赤線で↓に記してみました。
方角的には山頂から真南に下ります。
登っている向きが少し変わってきて、そのあたりからロープ場になってきました。
と言っても、最初は傾斜も大したことなくて、ロープがあってもなくても良いような?
1月19日は快晴というわけではないですが、まずまずのお天気でした。
午後からは炬燵に入って、男子駅伝など見ていたのですが、一生懸命走っている選手たちを見ていたら、自分も体を動かしたくなってきました。時刻は13時過ぎで、、里山ぐらいならこの時間からでも軽く登れます。
この前から気になっていた三豊の山条山と江甫山(つくもやま)に登ってみようかと考えました。山条山があるのは三野町で、観音寺の江甫山までは移動時間は30分程度と思われます。どちらも標高は200m足らずで、一時間もあれば登って下れるはずです。
山条山は実家からも良く見えるし、詫間や三野町方面を走る際にも何年も前から気になっていた山です。地元の人はとんがり山とかとんぎり山とか呼んでいるようです。私自身も正式な名前を知ったのはつい最近のこと。
友人と二人で、海岸沿いの道を歩いていたら、昼間はそれほどでもなかった四国の山脈がはっきりと見えてき始めました。
遠望は昼間よりは夕方のほうがよく利きます。
肉眼ではあまりに遠いので、はっきりとは見えづらいのですが、相当遠くまで見えているようです。今年の冬は特に剣山系も石鎚山系も雪が多いので、神々しい感じがします。
島の方たちは山の斜面にも石垣を積んで、野菜を作っているようです。
昔は、山頂のすぐ下まで耕されて畑になっていたので、山には木があまり生えていなかったそうです。
島のだんだん畑は作るには大変でしょうが、何とも風情がありました。
多いようでも、佐柳本浦港で船を下りた人は10人もいなかったでしょうね。
この小さなフェリーでは、荷物を船から島へ下ろすのはリヤカーが大活躍しているようで、後から「ちょっと」と言われて降り向くと、私がリヤカーの進路の妨げになっていたのでした(^_^;
定刻よりちょっとだけ早い14時48分に島に上陸です。
里山をほんとはもう一座、歩いているのですが、私のブログはおおむね時系列順に記録することにしているので、今日から2~3回で佐柳島をアップしようと思います。
冬場になると普通車、ノーマルタイヤの私の車では、高山の登山口まで行くのも大変なので、この時期でないとなかなか歩けない島歩きを1冬に1~2度楽しむことにしています。
西のほうの島は、伊吹島、粟島、高見島、志々島とほぼ歩いたのですが、後一つ、高見島の北側にある佐柳島にはまだ行っていません。去年も行きたかったのですが、行きそびれ、今年は何とか行きたいと思っていました。
そんな中、爺神山に登ったとき、高校時代のバレー部仲間に「今年は佐柳島に行くつもり」と話したら、仲間の一人に「私も行きたいから、行くときには誘って」と頼まれたのです。
聖通寺に下って、車に乗り込んだのは16時20分ごろだったでしょうか。
いくら日暮れが少し遅くなったとはいえ、この時刻からもう一山登るというと気が焦ります。
すぐさま、青ノ山方面に車を走らせます。Rさんはトンネルの近くから登りたいとのことで、それなら道も近くて好都合です。
青ノ山には我が家の墓地もあって、墓地からそのまま車道を登って行くと、確か登山道らしきものがあったはずと記憶してますが、今まで私が歩いて登ったことがあるのもトンネル方面から登るコースです。
爺神山に登った翌日、つまり3連休最終日の13日は思ったより良い天気になりました。
特に予定のない日だったので、昼過ぎまで家にいたのですが、陽気に誘われて詫間の博智山にでも登ろうかな~と思っていたところへ、タイミングよく、高松の山友達のRさんからメールが来ました。
私はだいたいにおいて、自宅にいるときは携帯を身につけてないことが多く、たいていはバッグの中に入れたままで電話にもメールにも気づかないのですが、このときはたまたまエプロンのポケットの中に入ってたので、直ぐに反応できました。聖通寺山と青ノ山に登られるそうで、一緒にいかがですか?というお誘いでした。
丁度どこかに登ろうとしていたので、渡りに船とばかり即、話がまとまりました。
Rさんはすでに坂出近辺まで来ているそうなので、私も10分で身支度をして家を出ます。前日は普通にヒートテックを着ていて汗をかいたので、この日は山用のウエアに慌てて着替えたのです。
羽床富士に登った丁度一週間後の12日は、爺神山(とかみやま)の山麓にあるピザ屋さんで、高校時代のバレー部仲間の集まりがありました。
年に一度、お正月休みが一段落した頃に集まるのですが、今年は久々にお店で集合となりました。例年は仲間の一人のお宅に囲炉裏があって、囲炉裏の周囲で食べたり飲んだりしています。今年は秋ごろから、時々一緒に山に登っている仲間が、爺神山の山すそにピザ屋さんがあって、小高い場所だから眺めが良さそうだからそこにしようと決まりました。
主人はまだ鉄塔にいるようなので、車のボンネットの上に暑くて脱いでしまったコートなどは置いて、再び鉄塔に向かいます。時刻は13時23分です。
池のほとりでバス釣り?していた人たちは、何度も池の周囲をうろついている私を見て???だったことだろうと思います。
山頂の小屋と思しき建物の正面に回り込んでみました。
時刻は12時40分です。こんな低山でも道のない場所を登ったので、30分ちょっとかかっています。
今年は年末の疲れが出たか、お正月早々風邪をひいて、3日~4日は家で大人しくしていました。
5日は風邪もだいぶましになり、主人が綾歌にお蕎麦を食べに行こうというので、天気も良いことだしと出かけました。
飯野山を眺めながら南へと車を走らせ(このときは主人が運転)目指すお蕎麦屋さんへ。
最近のコメント