友達の画像の入ったCDRを探そうとしていたら、懐かしいCDRが出てきた。
実は私のデスクトップは2004年の3月に不具合になってしまい、初期化したのだけど、その際、ハードディスクのCドライブに保存していたファイルはすべて消えた。
その前に外付けのCDライターを買っていたので、山の画像など大事な画像はある程度はバックアップしていたのは不幸中の幸いと言うべきか?
CDに書き込まれたフォルダーのタイトルは「岐阜~富山旅行」とか「京都の紅葉」など、大事な思い出となるものばかり。
特に岐阜~富山ドライブは私にとっては数十年ぶりのアルプスとの再会だった。
2002年8月5日深夜、当時小5だった末っ子と一緒に深夜12時半高松発のジャンボフェリーに乗り、早朝、神戸に着いたはいいが、阪神高速に乗るつもりが間違えて湾岸線に乗ったのが間違いのもとだった。なんと阪和道路などというものを通ってようやく名古屋入りしたのは昼過ぎ。そこから中央高速はすいすいと走り、中津川インターで下りて、藤村の生誕地で有名な馬籠を訪れた。その夜は付知峡の民宿で一泊。岩魚三昧の夕食をいただいた。
あくる日は富山泊の予定だったので、大人しく高山観光でもすれば楽だったけど、山を見ると血が騒ぎ、高山に入る手前で右折してR158に。乗鞍スカイラインに入るつもりだった。しかし、二時間待ちというのであきらめて平湯峠を北上して新穂高ロープウエイに乗ることにしたのだった。思えばこの年の夏は乗鞍スカイラインへのマイカー乗り入れが出来る最後の年だったらしい。
上の画像はロープウエイ終点の西穂高口というところから西穂方面を撮影したもの。
槍穂は山に登るものにとっては一つの憧れだったけど、学生時代はなるべく登りにくい山に登っておこうと言う気持ちがあって、つい登らずじまいだった。私には宿題ともいうべき山だけど、この宿題が果たせるのはいつのことか?
翌7日は宿泊していた富山のホテルを発って立山に。ここからはやはりマイカー規制なのでケーブルカーとバスを乗り継いで標高2200mの室堂に。この画像は室堂から北方面を撮影したもの。正面は立山連峰だが、左に険しい稜線を見せているのが剣岳。剣岳は大学二年の夏合宿で登った山だ。
あの時は雄山を通過しながら室堂を見下ろしたものだが、この日は逆に雄山を見上げることになった。
これは室堂から200mばかり登った場所から大汝山、雄山方面を撮ったもの。ほんとはもう少し登りたかったのだけど、帰りの時間の都合もあったので、これが限度だった。
このときはまさか本格的に山に復帰するとは思いもよらず、というか、復帰できるとはとても思えなかったが、あれから3年たって、今では北アルプスや南アルプスもごく普通に登れそうな気がする。
もっと遡って30年前は7泊もの長い間、北アルプスを縦走もしていたわけだけど、一旦、山から離れると、もう山なんて登れないものと思っていた、あのときの切ない気持ちがよみがえるね。
何事もそうしたいと願い続ければ、願いは叶うと言うけど、ほんとに山に限ってはそのとおりだったよ。
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