雑感

2005-03-04

義妹からのお雛様

今日は雛祭りの日だった。
娘の初節句の時に母が送ってくれた八段飾りのお雛様があるけど、もうそれを最後に飾ったのは何年前になるかな?
あれは娘の初節句のためにお雛様を飾っていた年、そう昭和57年の3月、姑は入院中だった。前年に手術した胆石の術後が思わしくなく、癒着してしまってそのための手術で入院していた。そんなわけで、娘の初節句のお祝いは姑が退院してからの旧の桃の節句にすることにしていた。
ところがそんな姑が入院中に心筋梗塞の発作を起こしてしまい、帰らぬ人となったのは」3月16日の早朝だった。
前夜は私が姑に付き添っていて、その夜主人の従姉妹が私と交代してた。その従姉妹から電話がかかってきて、驚いて病院に駆けつけた。姑は心臓マッサージを受けたり電気ショックの最中だったがだめだった。
急いで帰宅して主人や主人の兄弟に連絡。そして、ご近所の講中にも手配。たぶんバタバタとその段飾りの雛も片付けたと思う。
というのは、その後疲れからインフルエンザにかかった私は39度以上の高熱でお葬式に出るのがやっとだったのだ。
そんな訳で娘の初節句はたぶんしなっかtんだろうなぁ。
その後何度かはお雛様もだしたけど、いつも姑の法事と近いのでなんとなく落ち着かない。
もともと人形があまり好きではない私は娘が出してほしいと言わなくなったのをいいことに、もう10年以上は出してないような気がする。

そんな私に引き換え、義妹はお雛様が好きな子で、私が結婚直後も義妹の親王飾り選びにデパートまで付き添ったことがある。
自分のための人形が欲しいなんて思ったことのない私にはちょっとわからない感情かもしれないね。
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義妹からはその後も何度か雛の季節になると、ちょっとしたお雛様が送られてくる。
そして、今年も・・・。夕方、郵便受けに何か包みが入っていると思ったら、義妹からの小包で中には陶器の可愛いお雛様。
今年はもう雛を飾ることもないだろうなと思っていたけど、予想外にこんな可愛いお雛様の登場だよ。

もう一つ、数年前にいただいたのも出してみたよ。
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2005-02-28

青空が広がる

DSC00102moneDSC000862minioraha-todsc000842rappa_suisenn_tubomi今日は青空が広がったけど、空気は冷たかった~。
いつもの年ならもうそろそろ暖かい日が多くなるんだけど、今年は初冬が暖かだったぶんだけ春の訪れもずれ込んでいるのかな?
ベニバナミツマタやトサミズキも咲きそうでなかなか咲かないよ~。

ポレモニュームだのオダマキだのをひと回り大きい鉢に植え替えようと思うんだけど、寒いのと雑用が多いのとでなかなか取り掛かれないでいるよ。種まきもそろそろ取り掛かろうと思いながら、まだ播けないでいる。

チューリップやラッパ水仙の芽がそれでも毎日少しずつ伸びてきてるね~。
オオイヌノフグリもこんなに花が大きかったっけ?と思うほど鮮やかな水色の花が今日の陽射しに全開だ~。

母猫のモネも庭の入り口になっている小さな門の屋根の上で昼寝してるよ。

今日は久しぶりに逆光でビオラたちを撮影してみた。

2005-02-18

2000年以前の庭

111711166111620001115_96111311121de-ji-11121de-ji-以前にもどこかに書いたかも知れないけど、私と花のかかわりは小6以来かな?
種まきとなるともっと古くて、小5の春になる。いつから、そしてなぜ、種を買うようになったか、自分でも記憶が定かでない。
両親が父の実家近くに家を建てることになって、その父方の祖母の家に一年少し居候したことがあった。
典型的な讃岐の農家という作りの祖母の家での生活は、まだ農耕用の牛を飼っていたり、お風呂場が母屋とは離れた場所に独立して建っていて、電気がなくてランプの灯りの下でお風呂に入ったり・・。なんだか一昔前の生活で、とても楽しいものだった。その五右衛門風呂のお風呂炊きの当番は勿論私と弟の仕事で、炊きつけにするために裏の10分ほどでいける山に松の枯葉(コクバといってた)を弟と採りに行ったものだっけ。
ともかく、小5の春に何を思ったか、「玉ちしゃ」の種を私は買ってきたのだった。
それをいきなり祖母の家の敷地内にあった畑に播こうとして、祖母に止められた。「種を播く時はこんな風に」と祖母はクワで畝を作って、たぶん肥料なども入れて見せてくれたと思う。ともかく私が買ってきたものの、ほぼ祖母が作ったといっていい玉チシャ(今のレタスみたいなもので、今はもうちしゃなんてあまり見かけなくなったね、こちらでは酢味噌和えにして食べてた)はちゃんとできたんだよ。
小6になって新しい家が建った時、今度は種は種でも花の種を買ってきた。「金連花」(ナスタチューム)「千鳥草」(ラークスパー)「ペチュニア」の三種類の種。
金連花はとうとう芽が出なかったけど、千鳥草とペチュニアはとても綺麗に咲いたんだよ。今でもその1m以上にも育ってブルーやピンク、白の花をつけてる千鳥草を思い出せる。それにペチュニアは私と弟の勉強部屋の窓の下に綺麗に咲いた。今みたいにいろいろな品種がなくて、色はピンクと白と紫だけだったと思う。近くには飼い犬の「コロ」がテラスに鎖で繋がれてたっけ。カメラの好きだった父が当時としては珍しいカラーフィルムでこのペチュニアを撮ってくれた写真があったはずだが、・・。
父は山や海、川が大好きで、休みごとにアウトドアライフを満喫していたけど、花を育てるのも好きだったようだ。
私が中学時代には菊を栽培したり、冬にはサイネリアの鉢花を買ってきて玄関に飾ったりしていたのも父だった。
仕事の関係で県立図書館に当時勤務していたので、園芸関係の本などもよく家に持って帰った。
それを私も読んで参考にしては、「年中花の耐えない円形花壇」などというのの図面を書いたのものだったね~。
スイートアリッサム、アルメリアなど見たこともないのに、花の名前だけはそのおかげで覚えたんだよ。

高校時代はバレーボールに熱中し、大学では山に夢中になり、植えるスペースがないので(下宿だから当たり前?)種まきや園芸とは縁のない生活してた。もっとも、山の花をいちばん良く見たのはこの頃だね。
そういえば大学の山の同好会の追い出しコンパで後輩たちが記念にくれたのは花瓶だった。若い頃は花瓶なんてありがたくも何ともなかったのに、今では大枚はたいて花瓶買ってるし(^^;)

結婚直後、半年ほどこの家に義父母と同居したときに、また花を植えられると思ったよ。
その秋に播いたのはピンクのサポナリアだった。これも翌年の春に綺麗に咲いた。
結婚直後の秋にまだ健在だった姑と市の日曜市で買ってきたのはシャクヤクだったけど、これはとうとう咲かずじまい。
その3年後には実家の父も姑も帰らぬ人となった。

30代は子どもが小さかったこともあって、今、花を植えている畑には、野菜を植えていたんだよ。
ジャガイモ、ダイコン、スイカ、サヤエンドウ、ホウレンソウ、サツマイモ・・何でも作ったし、収穫もまあまあだった。
そこに花を植え始めたのは15年程前ぐらいからかなぁ?花を育てる=種を播くだとばかり思ってた。
後は球根を植えるか、親類やご近所から株分けしてもらった花を植えるとかね。

それが何時の間にか種を取り寄せるようになって、この辺りではちょっとだけ珍しい花を育てるようになってしまった。
この前、久しぶりに電話した友人の娘さん(23歳になる)が小学校を卒業するときにお祝いにデージーの寄せ植えを上げたんだったよね、という話に・・。もうその頃は完全に種まきにはまっていて、数十種類の花を種まきしてたから、考えてみれば、種まき園芸も13,4年になるということかなぁ。まだまだ飽きそうもない趣味だよ。

上の画像たちはデジカメ以前のカメラで撮った19995年頃に私が育てていた花たちだよ。
毎年、こうして記録していればよかったなぁと反省しきりです。(^^;) これを見るとクリスマスローズもバイモも10年間私の庭に存在しつづけてくれたんだなぁと思います。

2005-02-16

ネット通販から届いたよ

_06011dsc0009111dsc00089123日ほど前にインターネットで注文したアネモネ・シルベストリスとコリダリス・チャイナブルーが代引きで到着。
通販のは苗の状態が実際に眼で見て買う任できないのが辛いが、思ったよりもいい状態で届いてほっとした。

シルベストリスのほうは割安に思えたので2株注文したけど、どちらも蕾が複数ついて楽しみだ~。
私が注文した時点で残りは3株ほどだったので、他の人にはちょっと気の毒しちゃったかなぁ?
花にお画像だけ見てるとシュウメイギクと言われても頷いてしまいそうだね。
去年、近くのHCで買い求めたのにハルザキシュウメイギクというのがあって、中庭のシラユキゲシの陰でかろうじて生き残っているけど、これとはどんな風に違うのかなぁ?

コリダリスのほうも山でよく見かけるあの特徴的な切れ込みのあるエンゴサクの葉っぱだね。
こちらは蕾はまだ見えないようだけど、どんなブルーの花が咲くんだろう?
山で見かけるヤマエンゴサクもブルーの色は株によって淡いものやかすかにムラサキがかっているもの、はっきりとしたブルーなど、それこそ株の数だけ、違った色があるんだよ。またこちらではジロボウエンゴサクという淡い紫色のエンゴサクも咲くしね。

画像はアネモネシルベストリスの蕾。コリダリスの苗。そして青い花は去年の4月に剣山で見たヤマエンゴサクだよ。素敵なブルーでしょう?

2005-02-15

早春の雨

dsc0008911dsc0008411昼過ぎからとうとう雨になった。

雨が降ると洗濯物は乾かないし、出かけるのも億劫になるし、何より肌寒くて嫌だけど、花を育て始めてからは「恵みの雨」と思うこともあって、心の半分で喜んでいるね。
水遣りの手間が省けるというだけばかりではなくて、なんだか自分も花になって、いっぱい水分をもらってすくすくと成長できるような気になる。
物事にはなんでもいろいろな側面があって、見方によってはいいことが悪いことだったり、ある人には都合の悪いことが別の人にはいいことだったりというように・・。

畑の中央に植えた雲南桜草にも雨が降り注いでいたよ。雨を浴びたピンクの花びらは例えようもないほど可愛かった。
種からもこんなに簡単に育つ花だけど、雲南省の自生地ではどんな風に咲いているんだろう?
ふと見てみたい気持ちになったよ。

画像は雨に濡れたクリスマスローズ・ニガーとやっぱり雨に濡れた雲南サクラソウ。
一旦ほころび始めたら、あっという間に3つ4つの花が咲いたんだよね。

2005-02-11

青空だったけど・・

dsc01198dsc01199dsc01199昨日、主人が急に「明日から植木屋さんを入れる」と宣言。
確かにうちの庭はいまや松も棒ガシもソテツも伸び放題で鬱蒼としている。
私とて気になってないわけではないが、何しろ一旦植木屋さんを入れると、費用も手間も半端ではない。
以前は3人の職人さんが4日ほどかかっていた。今年は秋に隣との境界の松の木を丸坊主にしたので、これが手間要らずとはいうものの、やっぱり3日間は覚悟しないといけないだろうな。お茶とおやつは10時と3時に出し、12時にはお茶を出す。
これがあるので、遠出も無理。青空を横目に山にも行けないよね。
しかも植木屋さんたちは上の大きい木ばかりを見ているので、中庭に植えてある私の大事な球根類の芽にも気がついてはくれない。
いつも庭木がさっぱりした後は私の花の芽も無残な姿に・・。
今日も先日から蕾をつけているバイモやチューリップの土から覗いている芽がなぎ倒されたり、踏まれたりで無残な姿になった。

3時のお茶を出してから、気分転換に山友のYさんに電話して行きつけのアウトドアショップに行くことにした。
Yさんの家によるのは久しぶりなので、お庭だけ、少し拝見した。カーポートの横の植え込みの下にクリスマスローズが何株か植わっている。赤紫のオリエンタリス系の株で草丈50センチとかなり大きくなっているけど、惜しいことに葉がずいぶん傷んでいる。訊いたら西風が吹き付けたためとのこと。うちは中庭や畑といった風の吹かない場所(吹いても周囲の木々や家で風も弱まるので)にしか植えてないので、こういう状態の葉を見るのは初めてだったよ。

秋に差し上げた雲南サクラソウは鉢で大事に育てられていて、花こそまだだけど、我が家のよりよほど大きくなっている。
そして庭の中にもクリスマスローズのフェチダス発見。このフェチダスはうちの近くのHCで3週間ほど前に見かけてよほど買おうかと迷ったのだけど、やめたもの。草姿が変わっていて、まるで木のように立ってうて、頭頂部で緑色の花をつける原種らしい。だけど、惜しいことにこのフェチダスもあまり元気がいいとは言えないようだった。クリスマスローズなんて、植えればほぼどれも元気に育つものと言う気がしていたが、そうでもないのかな?そういえば、私の友人でもクリスマスローズを枯らしたという人がいたっけ。

行きつけのアウトドアショップは移転して、お店もひと回り大きくなって、盛況だった。
ほんとは見るだけのつもりだったんだけど、可愛いシャツを見たのでつい買ってしまったよ。
このシャツに昔のニッカボlッカを合わせれば、往年の登山スタイルが決まりだね。(^_^)

ああ、早く、ユキワリイチゲを見に行きたいものだよ~。

画像は去年の3月末に愛媛の某所で初めて見たユキワリイチゲの花。
夢中で何枚ものシャッターを切ったものだよ。

2005-02-02

姪の結婚式

dsc000352dsc00040DSC00088mami4日間の上京から夕べ帰ってきたよ。
親類は勿論、学生時代の友人、先輩、後輩など沢山の人に会えて、盛りだくさんの楽しい旅でした。
最初招待されたときは、正直、出かけるのが億劫だったのだけど(準備やらなにやかやで)いざ出かけるとやっぱり楽しいよね。

結婚式、披露宴、どちらも麻布の閑静な緑の多い場所で行われたので、ゆったり出来た。
私たちの頃のホテルや式場でのものとはまったく違って、最近は若い二人が何もかも決めるみたい。
姪たちは「自宅のサロンにいるような寛いだひと時を過ごして欲しい」というコンセプトのもとで企画したようだ。
披露宴が行われたレストランは由緒のある建物のようだった。

何はともあれ、若い二人のこれからの人生を祝福せずにはおれない。

画像右は披露宴での花束贈呈の様子。
中央は披露宴会場の麻布のレストラン外観。
左は結婚式後のフラワーシャワーで花びらが舞い落ちた教会のバージンロード。

2005-01-28

春のような・・

dsc0003911dsc000232dsc000291今日はずいぶんと暖かくて、午後から車でお出かけしたら、暑くて窓を全開してしまったよ。

昼間の畑もポカポカで、草取りをしていても気持ちよくていつまでもいたい気分になってしまった。
猫のシロも久しぶりで畑についてきて、土の上で気持ちよさそうにコロコロと回っている。

ウンナンサクラソウも花茎が立ってきて、その先端に蕾がついてるのだけど、昨日までは蕾の割れ目から微かにピンクらしい色がわかるだけだったのが、今日ははっきりとピンク色の先っぽが覗いていた。

ビオラ・ミニオラハートアイスブルーも一株の二つぐらいの割で咲いている。このビオラは株が小さい間は咲かないタイプらしく、ある程度大きく成長したのだけが花をつけている。昨日はもう薄暗くなってから撮影したもので。花色が実際よりブルーがかって写ったが、今日は丁度ほんとの色に写ってくれたよ。

何時の間にか、いつものジョウビタキが近くにとまって真っ黒な丸い目でこちらを見ていた。

明日から上京だから、花たちには勿論、たぷりと水遣りをしたよ。

画像右はほんとの色に近く撮影できたミニオラハートアイスブルーの双子君。寄り添うようにに咲いているね。
中央は蕾がピンクに色づいたウンナンサクラソウ。
左はいつものジョウビタキ君(♀でした(^^;) )

2005-01-21

白磁のお皿

dsc000152dsc000391dsc000108昨日はいろいろな用事を兼ねて高松に。

そのうちの一つに年末に注文しておいたお皿が出来上がったのを取りに行くと言うのがあった。
この器のお店は展示のセンスがいいので、見ているとついつい欲しくなってしまう。
器は以前にもいろいろ凝ったことがある。

15年程前には古い器に凝ったことも。
その後、○○鑑定団なんていう番組が始まって、一時期、馬鹿高くなったので、古いものを見るのはやめた。
だけど、その頃集めた大きな角皿などはほんとに使いやすくて、とても気に入ってるよ。(これは松江に旅したときに買ったんだよね)
今では使い勝手がいいものしか買わないようにしている。
この白磁のお皿は八寸皿かなぁ?色が白だからあまり主張せずに、なんでも盛り付けられそうなのがいいね。

画像右はバージニアストックの一番花。
中央は昨日、高松から持って帰ったお気に入りのお皿。
右画像はprimroseさんが苗を分けて下さったプリムラアコリス「ブルージーンズ」の蕾。(^_^)

2005-01-12

なんだかなぁ

dsc00160syou1月末に東京の姪っ子が結婚することになり、上京することになった。
大学が東京だったので、東京近辺には友人がたくさんいる。丁度一年ぶりの上京だし、6月末に急死してしまったN君のお葬式に出られなかったので、何かの形で彼の霊前にお参りしようと思っていた。結婚式後、幸い2日ほど東京にいられそうなので、同期のもう一人の女性であるIさんと連絡をとって一緒にN君のお墓参りに行くことに。

お墓の場所を予め訊いておかないとわからないので、昨日の夕方、N君の奥さんに電話をかけさせてもらった。
丁度在宅されていて、N君の最後の様子や、病気の経過なども詳しく聞くことが出来たけど、奥さんには辛い思いをさせてしまったかなぁ。
「まだ主人の死が現実のものとして受け止めることが出来ないんですけど、受け止めないと駄目なんですよね」と・・。
いろいろとお話をしているうちに、ひょんなことから、彼のお葬式の時の遺影のオリジナル画像は、私が2001年に撮影したものだったことがわかった。2001年は私たちの山の同好会の40周年パーティーがあったので、デジカメを買って半年後だった私は持参していたのだった。その時の立食パーティーでの一コマを撮影したものが、表情がいいというので選んだらしい。

私のパソはいつかも書いたけど、2004年春に不具合で初期化したもので、その際に多くの画像ファイルが消えてしまったけど、このときの画像は大事を取ってCDに焼いておいたのだった。他にもちょっと調べたいこともあって、今日、何年かぶりでこのファイルを開いてみた。
N君の遺影になったという画像はすぐにわかったよ。ほんと、いい表情してるもの。

でも、彼はこの世にはもうお別れしてしまったんだね。
同好会に入って初めての山行は4月だか5月だかの尾瀬だったけど、その時もたくさんの私たち新人に混じって、写ってるよね。
寡黙であまり目立たないけど、山行のリーダーも何度も務め、同期会の幹事も快く引き受けてくれてた。
遠く離れて住んでるる私は、集まりがあるというといつも携帯に電話したりメールしたりして連絡してもらってたっけ。
いまだにアドレスも携帯の番号も削除をする気になれなくて・・。
実家のある熊谷のお寺の墓地に眠るというN君。

31日は必ず、お参りに行くからね。

画像は彼の遺影に使われたという3年半前のオリジナル画像。

2005-01-06

甥っ子

dsc000118dsc000113昨日、帰ったけれど、3日夜から津田沼の義妹のところの甥っ子が来ていた。
この甥っ子、いつも私の携帯に、「四国に行きますので泊めてください」と、突然、メールが入るんだよね。
大学に入ってからは年に一回か二回の割合で来ているかな。そういえば、高校に入る直前の春休みにも四国を旅行するといって、我が家に何泊かしていったことがあったっけ。

私には主人のほうの甥や姪が8人いるけど、中でもこの甥っ子はいちばん縁が深い。
というのも、この子がまだ5歳のとき、母親である義妹が妹を妊娠中で切迫流産の恐れがあって緊急入院してしまったんだよね。
義妹の母親である姑はもう他界していたので、義妹の約3ヶ月の入院中、甥っ子をうちで預かっていたというわけです。
自分の子ども達もまだ小さかったから、時々は体力の限界で寝込みながらも甥っ子をみたものだった。
この甥っ子、中学時代はややこしい子で(関西のかたならニュアンスはわかるかなぁ?)父親が海外出張が多くて家を空けることが多かったこともあって、手を焼いた義妹が時々私にも電話をかけてきてた。両親ともめて、甥っ子がパトカーを自宅に呼ぶなんてこともあったようだ(^^;)

それが超難関と言われる高校に入ってからはがらっと落ち着いたね。思えば、中学時代は一日10時間勉強していたと言うから(それは甥っ子の選択で、両親はそんなことは言わない優しい人達)ストレスもそれはすごかったのだろう。ともかく、高校に入ってからは落ち着いて、それからは一人で四国にちょくちょく来るようになった。大学に入った年の冬は大晦日にバイクで東京から四国まで来たこともあった。
後で聞いたら、25時間かかったらしいけど、夜中になっても着かないのでこちらはヒヤヒヤものだったよ。心配でまんじりともできないので、居間のコタツで転寝していたら、明け方の5時に甥っ子がのそっと現れてほっとしたっけ。体が冷え切って死にそうだと言うので、熱いお風呂に入らせ、ともかくご飯を食べさせて・・。

その後も、年に一回か二回は必ずうちに来ている。去年の9月には4泊ほどしていったので、主人は庭の木の剪定を手伝わせたり、私は剣山に行くのに同行させたりと、決してお客様扱いはしない。本人もこういう経験はなかなか出来ないと、結構、喜んでいるようだ。

今回は高松にいる甥っ子の父方の祖父が具合が悪く、その介護で祖母が疲れきっているので、その手助けに暮れの25日ぐらいから高松に来ていたようだ。甥っ子が帰る前夜(といっても高松に帰ったようだけど)、昔のアルバムを見ながらいろいろな話を二時間もしたろうか。
一時期はあれほど生意気だった甥っ子が、今では祖母の愚痴や私のしょうもない昔話をじっくりと聞いてくれるほど大人になったんだね。子どもは育ててみるものだね。
そうそう、この甥っ子、パソは高校時代からいじっているからお手の物で、私のデスクトップのキーボードが不具合になってしまって初期化を覚悟していたのを直してくれたよ。二泊の宿代は、これで帳消しだよ(^^;)

画像は冬でも眩しいほどの陽射しを受けた畑のパンジーやビオラを逆光で撮ってみたもの。

2005-01-05

若い人

dsc00063ここのところまた忙しくしていて、更新が出来なかった。

新年3日夜はここ数年、恒例になっている、塾のかつての教え子達との新年会だったんだよ。
現役で大学に入った子は大学3年、つまり21歳になる元教え子達だ。個人の塾で数学を教えているんだけど、6年程前から高校生も教えるようになったので、付き合いの長い子だと小学6年の終わりから高3の終りまでと言う6年間に及ぶ付き合いにもなる。
この子達とは何故か「そのうちに一緒にお酒を飲みにも連れていってあげるね」という約束をしてたんだよね。サッカー部の男の子が多い学年で、やんちゃをしては叱ることも多かったけど、皆、それなりに大人になっているのが嬉しいよ。うち一人の女の子がアメリカの大学に入ったので、この子が帰国しているときに合わせて皆で連絡を取って夏休みやお正月に集まるようにしている。

既に高校や高専を出て働いている子もいれば、まだ大学生の子、専門学校の生徒など立場も環境も今はバラバラ。
去年高専を卒業して山梨の産業ロボットを作る会社に就職している男の子は「仕事は機会のメンテで、寮に帰るのは毎晩11時、3日ぐらい誰とも会話をしない日もあって、それが一番つらい」とも。もう一人の子も人が聞いたら羨むような一流企業勤めだけど、「自分の時間がないのが辛い」と。で、まだ大学生であるかつての仲間に「おまえ達は恵まれていると言うことを自覚しろよ」と言ってた。

よく飲んでよく食べて、最後にはみなの失恋話も出て・・。頭が良くて難しい大学に現役で入った男の子、てっきりクールな子だとばかり思っていた子が「もし大学に落ちててもこんなに辛くはなかっただろう。失恋のほうがよほど悲しい」と話したのには、ちょっと意外だった。

若いときは自分だけが孤独に耐えているような気になるけど、自分自身もやはり同じようなものだったから、思わず21,2歳の頃を思い出してしまった。だけど、孤独に耐えるって言うことが、人間を成長させてくれるような気がする。

ロボット会社で働いている子は4日には仕事が始まると言うので、一足早く車で関東に向けて発ったけど、心なしか淋しそうだった。
夜通し、仲間と東名を交代で運転して帰るらしい。

また会えるといいね。


2005-01-03

和菓子屋さんにて

dsc00043今日は同じ市内に住む義弟一家がお年始で来ていた。
名目は、一応、お年玉の交換かなぁ。

最初は昼間に来る予定だったので、お正月と言うことでお抹茶に和菓子、そしてコーヒーにケーキを用意しようと思い、和菓子屋さんに立ち寄ってみた。市内で多分一番由緒のある和菓子屋さんだと思うのだけど、ここには法事の折のお茶菓子を買いに来たり、そうでなくとも季節の和菓子をたまに買いに来ることがある。
このお店に立ち寄った時の楽しみが、レジの後ろに生けてある茶花なんだよね。
一昨年の夏にやっぱりお盆の仏事用にお茶菓子を買いに来たとき、シュウカイドウが綺麗に生けられていた。店の女主人は60代後半と思しき落ち着いた方である。「シュウカイドウはこの辺りで育ちますか?」と訊いてみたら、「このシュウカイドウは頂ものなんですが、この街中ではなかなか夏が越せないそうですよ」とのこと。
そのときに見たシュウカイドウの花が忘れられなくて、育たないかも知れないことを覚悟してサカタの通販でシュウカイドウの球根を取り寄せたのが03年の秋のことだった。届いた二つの球根は大事をとって、鉢植えと畑植えの二つに分けた。
去年のものすごい猛暑の中、どちらもちゃんと芽が出て育っていたけれど、畑の地植えのほうのは8月の半ばごろ、とうとう駄目になった。そして中庭に鉢を置いてあった、鉢植えのはなんとか秋に綺麗な花を見せてくれた。初めて咲いてくれた花、そしてそれがあこがれていた花ならば、尚のこと嬉しいよね。飽きずずっと眺めたものだよ。

今日、生けられていたのは、ロウバイ、サンキライの真っ赤な実、そして下には見覚えのある葉が・・。
「これは?」と尋ねたら「野いちごらしいですよ」とのことだった。やっぱりそうなんだ。これは山に生えている冬イチゴの葉っぱだった。
去年の今頃、琴南の山の中で、雪の中、真っ赤な可愛い身をつけていた冬イチゴの葉っぱだ。
女主人に「こういう茶花はどこかで生け方を教わるのですか?」と訊いたら、「これは教わるのではなくて感覚で生ければいいんじゃないでしょうか」とのこと。女主人もいろいろな雑誌に花が生けられている写真を見て、工夫されているとのことだった。
また今日の壷は「蹲(うずくまる)」というのだとも。「蹲」は私も焼き物が好きなので聞いたり見たりしたことのある言葉だが、そういう風に下部にふくらみがあって、安定感のある壷を言うらしい。お相撲さんの蹲踞(そんきょ)の蹲の字だとも仰った。


買い物に行って、いろいろなお話を聞いたり、綺麗なものを見せていただくのは楽しいものだね。
特にその道に秀でた方のお話はとても楽しくて為になる。

私が種まきして育てているロウバイの木がこんな風に花が咲くのはいつのことかなぁ?あ、そうそう、この日買ったお菓子は新年に合わせて花びら餅だよ。

画像はこれもこぼれ種からのマラコイデスの白花。ピンクに少し送れて咲き始めたもの。

2004-12-28

年賀状

dsc000133_037いよいよあと3日となった。
先週末から賀状作りに取り掛かっている。2000年にPCを購入するまでは、私の賀状は裏も表も筆で書いていた。
字はものすごく下手なんだけど、それでも大人になってからお習字を3年ほど習って、なんとかこましになったもので。

それがPCを買ってからは主人の分も私の分もパソでファイルを作り、プリントアウトするように。
最初はわけがわからないことばかりだったので、インターネットで適当に干支のイラストをダウンロードしてきて、謹賀新年などという挨拶文字と適当に組み合わせてた。自分のも画像を2,3枚入れて、適当に文面を埋めてというものだったよ。
3年ほど前から私自身のはワードで作成するようになった。メインになる山画像を選び、ほかには山の花を何か1、2種類ほど入れている。何しろ年に一度の作業だから、そのつど、ワードの細かい操作なども忘れることが多いよ。

毎年、賀状のオリジナルファイルは保存していたんだけど、この3月のパソの初期化で全部パーになってしまった。
余った賀状という形で残っているのが、不幸中の幸いかなぁ。

今年は4月から9月まで5回も登った徳島の剣山から見たジロウウギュウの姿をメインにして、もう一枚の花画像はなんといっても秋田駒ケ岳のチングルマ画像だね。2004年に山で見た花の中で一番印象に残っている花だよ。

画像右は2005年用賀状に使った剣山から撮影した次郎ギュウの画像。
左はこれも賀状に使った秋田駒のチングルマの群生だよ。私が今まで見た中でいちばんきれいな群生だろうと思う。


2004-12-26

映画と花

dsc000222dsc000242昨日は自分へのプレゼントというわけで、末っ子と一緒に映画を観てきた。

映画は割合好きで、よく観るときは月に二回くらいは観てるかなぁ?
昨日はほんとはトムハンクスの「ターミナル」を観たかったんだけど、出かけるのが遅くなってしまって、着いたときにちょうど始まっていたのが宮崎アニメの「ハウルの動く城」。末っ子は「エイリアンVSプレデター」を観るというので、親子で別々に鑑賞ということに。
私は普段は平日のそれも朝一の回を観るので、ガラガラで席も好きなところを取り放題という感じだけど、昨日はさすがに混んでいたよ。
それでも一人なので、何とかいい席を確保できた。因みに、私は映画は一人で観る派なので、たとえ親子でも映画は一緒に観たくはないほうです。ましてや、仲の良い友人とでも一緒には観たくない。

倍賞千恵子が吹き替えをしているヒロイン、ソフィーは美人でもなく目立たない地味な娘という設定らしい。
それが魔法にかけられて一瞬のうちに老婆になってしまう。場所の設定は今回は宮崎作品にしては久しぶりの海外。背景にはアルプスのような山々、多分スイスをイメージしているのではないかなぁ?最後のほうにその山々に咲く花の描写があったけど、私のようにちょっとだけマニアックに花を育ててる人間には物足りなかったなぁ。あの場面には私のwebの友人だった(過去形なのはその方が若くして亡くなられたから)KさんのHPを参考にすれば良かったのに、などとしょうもないことを考えたり。(^^;)
「年をとるといいことは、驚かなくなることだね」後もうひとつ、印象に残ったソフィーの言葉があったんだけど、ちょっと忘れてしまったよ。
どちらにせよ、少し年を寄せられた宮崎駿監督の実感なんだろうなぁ。
年のいったものは若い人の気持ちと年のいったものの気持ち、両方がわかるんだよね。それに比べて若い人は、自分が年を寄せたときの気持ちはわかるわけはなくて、で、それは当たり前なんだよ。若さとは傲慢なものといわれるのはそんなところからなんだろうね。

ほんとは庭の花のことを書こうと思っていたのが、とんでもない方向に話が逸れちゃったわ。

というわけで、画像だけは花画像を。
右は寄せ植えにしたマラコイデスが咲き始めたよ。バックは満開の水仙ガリル。
植え切れなくて、球根がまだ200球ほど物置で芽を出したまま転がってる(^^;)

左は少しは冬らしく寒くなってきたのに、まだがんばって咲いているニコチアナ。


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