鳥取との県境尾根を少し歩いたら、今度は木の階段を下ります。
この階段が幅は広いし、前日の雨の後で滑りそうになるわで、膝の調子が今一つだというTさんの調子が気がかりでしたが、ゆっくり下ったので何とかやり過ごせました。
イワウチワを楽しみながらゆっくりと歩いていると、先ほど追い越していかれたご夫婦がもう下ってきました。
山頂へ行かれないのかなと不思議に思ったら、初めて登るので道がよくわからなかったようです。
今年は通行止めのロープを張ってない尾根道のほうを登っていかれました。イワウチワのお花見コースですね。
私たちは、去年と同じ滝谷コースを歩くことにします。
今年は4月27日からGWに入りました。
娘夫婦が岡山に引っ越してきたこともあって、絶対に帰省してくると思うので、直前までGWの予定は立てないでおきました。
天気は良さそうなので、一人であちこちの花の山のどこかに行くつもりではいたのですが、26日に山友達のTさんから電話がありました。佐渡に花散策に行く予定にしていたのが天気が悪そうなので取りやめにしたそうです。そこで、天気の良いGW前半にどこかに行きましょうと言うお誘いでした。いろいろ尋ねてみると岡山の伯州山が第一希望のようです。私としては毛無山のカタクリも見てみたい気がしているので、行先は保留して、出かける日は27日とだけ決めました。
もう一人の山友達Rさんが本州の山に遠征しているので、Eさんやほかの方にも声をかけようということでEさんにメールを入れたら、OKということになりました。ところが、Eさんはすでにカタクリを見られたというので、それなら行先は伯州山と決まりです。
集合は瀬戸大橋の乗り口である坂出北インター近くの場所に5時半集合となりました。
伯州山の駐車場所があまりないので、早出して駐車場所を確保するためです。
最初はほんの小さな流れだった沢も、下るにつれて沢らしくなってきました。
ハナネコノメは一体どこに咲いてるのだろう?と、ところどころで沢沿いを良く見てみるのですが、それらしきのが見えません。
かなり下ったと思われる頃、沢を対岸まで渡ってみました。
といっても、石伝いに歩くだけで、渡渉と言うほどのものではありません。
すると、ハナネコノメが見つかりました。たまたま見てみたところで、ハナネコノメが咲いていたのはほんとに幸運でした。
登り始めのころは人もまばらだったのが、時間が経つにつれて家族連れや若者のグループなどが後ろから歩いてきてどんどん追い越します。小学生を連れたグループもあって、さすがに東京の山は若い人が多くて活気があります。
急坂が一段落したところで、日当たりの良い場所に出てきました。
何か咲いているかと思ったら、タチツボスミレの紫色があちこちに見えていました。
3月の第二週末に東京で学生をしている末っ子の様子を見てこようと、上京してきました。
末っ子のところに行くのはこれが3度目ですが、今まではせわしなく行って直ぐに帰ってくることが多かったのです。
今回は9日と10日はまるまる東京にいました。川崎の息子の住んでいる寮も見てきたかったし、新大久保で住んでいる甥っ子のところにも赤ん坊が生まれたというので、赤ちゃんの顔も見てきたいと考えていました。しかし、末っ子は京王線沿線に住んでいるので、高尾山に行くには良い機会です。
私自身学生時代は東京に住んでいたのですが、高尾山の名前ぐらいは知っていてもハイキングには行ったことがなく、最低でも一泊2日の山にしか登ったことがなく、高尾山には登ったことがありませんでした。
登るのは他の用事の都合も考えて、10日の午前中に登ることにしました。
前日9日は3月とは思えないほど暖かい日で、川崎の息子のところに行ったら半袖だったのには驚きましたが、バス野中も冷房が入っていたのです。上京に際しては冬物しか持っていかなかったので、帰りに慌てて春物の綿のシャツを買いました。上衣だけは春に山に行くときに良く使うウインドブレーカーを持っていたので、綿のシャツの上からウインドブレーカーと言ういでたちです。足元はいつものウオーキングシューズ。
こんなところになぜ土塁が?
訳がわからなくて調べてみたら、分県ガイドに出ていました。
それによると明治30年代から陸軍の軍馬育成場だったようで、放牧された馬が逃げないように56キロにも及んで構築されたそうです。陸軍の軍馬と言えば、「坂の上の雲」の秋山好古の乗っていた馬も、この辺りで飼育されていたのだろうか?などと想像したりしています(^_^;
ところで、その土塁の道標に着いた途端、大山を背にして登って来る単独の男性が見えました。
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