昨日、帰ったけれど、3日夜から津田沼の義妹のところの甥っ子が来ていた。
この甥っ子、いつも私の携帯に、「四国に行きますので泊めてください」と、突然、メールが入るんだよね。
大学に入ってからは年に一回か二回の割合で来ているかな。そういえば、高校に入る直前の春休みにも四国を旅行するといって、我が家に何泊かしていったことがあったっけ。
私には主人のほうの甥や姪が8人いるけど、中でもこの甥っ子はいちばん縁が深い。
というのも、この子がまだ5歳のとき、母親である義妹が妹を妊娠中で切迫流産の恐れがあって緊急入院してしまったんだよね。
義妹の母親である姑はもう他界していたので、義妹の約3ヶ月の入院中、甥っ子をうちで預かっていたというわけです。
自分の子ども達もまだ小さかったから、時々は体力の限界で寝込みながらも甥っ子をみたものだった。
この甥っ子、中学時代はややこしい子で(関西のかたならニュアンスはわかるかなぁ?)父親が海外出張が多くて家を空けることが多かったこともあって、手を焼いた義妹が時々私にも電話をかけてきてた。両親ともめて、甥っ子がパトカーを自宅に呼ぶなんてこともあったようだ(^^;)
それが超難関と言われる高校に入ってからはがらっと落ち着いたね。思えば、中学時代は一日10時間勉強していたと言うから(それは甥っ子の選択で、両親はそんなことは言わない優しい人達)ストレスもそれはすごかったのだろう。ともかく、高校に入ってからは落ち着いて、それからは一人で四国にちょくちょく来るようになった。大学に入った年の冬は大晦日にバイクで東京から四国まで来たこともあった。
後で聞いたら、25時間かかったらしいけど、夜中になっても着かないのでこちらはヒヤヒヤものだったよ。心配でまんじりともできないので、居間のコタツで転寝していたら、明け方の5時に甥っ子がのそっと現れてほっとしたっけ。体が冷え切って死にそうだと言うので、熱いお風呂に入らせ、ともかくご飯を食べさせて・・。
その後も、年に一回か二回は必ずうちに来ている。去年の9月には4泊ほどしていったので、主人は庭の木の剪定を手伝わせたり、私は剣山に行くのに同行させたりと、決してお客様扱いはしない。本人もこういう経験はなかなか出来ないと、結構、喜んでいるようだ。
今回は高松にいる甥っ子の父方の祖父が具合が悪く、その介護で祖母が疲れきっているので、その手助けに暮れの25日ぐらいから高松に来ていたようだ。甥っ子が帰る前夜(といっても高松に帰ったようだけど)、昔のアルバムを見ながらいろいろな話を二時間もしたろうか。
一時期はあれほど生意気だった甥っ子が、今では祖母の愚痴や私のしょうもない昔話をじっくりと聞いてくれるほど大人になったんだね。子どもは育ててみるものだね。
そうそう、この甥っ子、パソは高校時代からいじっているからお手の物で、私のデスクトップのキーボードが不具合になってしまって初期化を覚悟していたのを直してくれたよ。二泊の宿代は、これで帳消しだよ(^^;)
画像は冬でも眩しいほどの陽射しを受けた畑のパンジーやビオラを逆光で撮ってみたもの。
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